(1893~1971)
マグヌソン牧師は、長年にわたる伝道活動と牧師としての働きに続いて、オレブロ・ミッション本部における海外宣教部の主任を30年近く務め、その間、1960年の定年までの数年には、オレブロ・ミッション理事会の議長も務めました。
彼は、雄弁な説教者としての賜物を持ち、海外宣教地各地を訪れ、また、スウェーデンやスカンジナビア諸国間でも、大いに用いられていました。彼の奉仕の生涯は、福音宣教のために、生涯と未来をささげたいと願っているすべての若い人々にとって、本当にチャレンジであります。
海外宣教部主任として
マグヌソン牧師は、わたしたちのミッションの歴史上、最も重要な過渡期に生きました。すでにミッションの創立者と他の愛する兄弟達も死去していました。大きな問題は、ミッション本部内の各部で重要ポストを占める人事を定める事でした。そして、神さまはそれらの人々を備えてくださいましたが、その中で最も重要で活発であったのがマグヌソン牧師でした。
彼は大変英明な人格でしたが、それにも増して彼には宣教活動に対して燃える心がありました。また彼にはふさわしい伴侶であるフルダ・マグヌソン夫人が与えられていました。彼女は家庭を美しく保ち、すべての人を招きいれ、訪れる人すべてを歓迎しました。人々を助け、支援することに時間と興味をもっていました。この家庭で数名の子供たちが成長しましたが、今日彼らはスウェーデンの各地に住んでいます。
当時、海外宣教の働きは広がりつつあり、宣教師の数も増加し、わたしたちのミッションの世界的宣教活動は数ケ国に橋をかけていました。妻とわたしがミッションのある集会で極東アジアへの宣教師として任命された時、マグヌソン牧師と他の兄弟たちとが私たちの上に手をおいて、宣教師夫婦としての私たちの将来のために祈ってくださった時のことを決して忘れることができません。その時、私たちは御霊の力をはっきりと感じたのです。
マグヌソン兄弟は、海外宣教部主任としての働きの中で、キリスト教会の元来の姿について教えることを好みました。彼は、教会には現在実践すべき大きな仕事があることを指摘し、キリスト教宣教の差し迫った必要についてよく語りました。彼が語るときは炎のようでした。
彼は、イエス・キリストの再臨に関するメッセージに熱く燃えていました。「私たちに必要なのは、現実にリバイバルの必要を幻としている男女である。」と、彼はよく口にしていました。宣教師候補者たちに彼が常に勧めた事は、自分自身を主にささげて自らの願いよりも神の願われる事を進んで第一にすることでした。またあるときには、自分の息子のひとりが事故で死んだその1日後にこの兄弟はミッション本部にやってきて祈祷会でイエス・キリストの奉仕のために自分自身を再びささげたのです。
(1978年7月25日「JECだより」第10号:宣教師 ヘルゲ・ヤンソン記)